この忍者の世界に立てられた、人間性を遮断する厚い壁の中で、自由と愛を求めてもがき伏す五右衛門の姿は、たしかに『真空地帯』の木谷一等兵そのままである。しかし、簡単に信長を宗教の敵として、悪玉にしたて、忍者の砦を過大に重要視したり(なお甲賀一族が、宗教弾圧の信長を憎む遠因は、彼らが天台宗から出たという歴史的背景があるそうだが、シナリオではそのかくれた関係を理解する程に描かれていない)それどころか、百地三太夫が、敵対する伊賀の忍者の首領藤林長門守と同一人で、このダブルロールで、配下の忍者の技術錬磨にハッパをかけるというミステリー的構成があったりして、いささか興味中心に流されていることは否めない。

 しかも、シナリオに関する限り、五右衛門の苦悩より、アクションに重点がかかっているような感じが深い。それに、山本薩夫氏は、時代劇といえば、『箱根風雲録』と『赤い陣羽織』があるだけで、彼の重厚なリアリズムの手法が、このシナリオの壁の中で時代劇の様式ととっくんでどう自由に発揮されるか、セットの中でいつも温顔におだやかな微笑をたたえている山本氏に、まず無遠慮にその点から質問を始める。

外村 あなたの時代劇で『赤い陣羽織』は、勘三郎という歌舞伎様式にこりかたまった俳優を、逆に喜劇的に使って、その形だけの様式を、形だけの殿様の権威の表現にうまく一致させたと思うんですが、今度は、やはり中心は、五右衛門の苦悩にあるんでしょう。そうすると、どういう風に時代劇の様式と整調せられるのですか?

山本 ぼくは、今度の作品では、できるだけ時代劇の様式を破って、自然なありのままの人間に復元したいのです。もちろん、様式といいますか、或いは約束といいますか、ある程度の型は残しますが、人間のまぎれもない素顔をのぞかせえるだけのことはやりたいと思っています。なにしろアクションが多いので、どこまで、ぼくのねらいが出るか、率直にいって心配なんですがネ。

外村 なんでも、忍術というものの真実の姿、つまりその合理的な方法手段を史実どおりに描かれるそうですが、それもリアルな方向を指し示すためなんですか?

山本 まあそうです。しかしそういうのは、形だけのリアリズムで、やはりぼくとしては、五右衛門の自由への必死の脱出を主点に、その苦悩に、観客が共感を寄せるように描きたいです。

 

 

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